9歳で舞台『Damn Yankees』に出演したのが芸歴の始まりである。1989年に主演を務めた映画『ビルとテッドの大冒険』が予想外の成功を収める。同作は続編も制作され、キアヌは「テッド役の十代の俳優」として世間に認知されるようになる。1991年には親友のリヴァー・フェニックスと共に『マイ・プライベート・アイダホ』に出演した。
彼を一躍スターダムに押し上げたのは1994年の『スピード』である。続く『スピード2』にも出演オファーがあったものの、彼は自分のポリシーにこだわり、『ディアボロス』と『死にたいほどの夜』に専念するとの理由でこれを断っている。その後、いくつかの映画に出演したものの、やや表舞台からは遠ざかる形となっていた。しかし、『マトリックス』(1999年)に出演後、再ブレイク。3部作に主役として出演した。
キアヌは主にトロントで育ったが、5年間に4つの高校に通っている。そのうちのひとつ、en:Etobicoke School of the Artsでは退学処分を受けている。その理由について彼は「だって、僕はだらしなくて落ち着かない生徒だったからね。少々やんちゃで、嘘をつき過ぎた。端的に言って素行のいい生徒じゃなかった。恐らくみんなの足を引っ張る存在だったんだね。」と語っている。キアヌはアイスホッケーにおいて優れた能力を発揮する一方、失読症により学業に苦労した。通った高校の内の一つen:De La Salle College "Oaklands"では、ゴールテンダーとして活躍。仲間は彼を「The Wall(壁)」と呼び、投票で最優秀選手に選出した。当時の彼にとっては、冬季オリンピックのアイスホッケーカナダ代表の選手になることが一番の夢であったが、怪我によりその道は断たれた。その後、俳優業と並行して通えるフリースクールに入るも中退。結局、高校教育を修了することはなかった。(ウィキペディア)
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