説教をすることはとても危険だ!


 
 ニール・ヤング

私は、何についても沢山意見をもっている。それは音楽活動を通じて生まれてくるんだけど、私にとってそれは戦いだ。説教じみたことは避けたいと思う。説教をすることはとても危険だ。

ニール・ヤング



Neil Young(1945年11月12日 生まれ)
カナダ・トロント出身のシンガーソングライター、ミュージシャン。クロスビー、スティルス、ナッシュ& ヤングやバッファロー・スプリングフィールドのメンバーとしても活躍。1969年にソロデビューし、1995年にはロックの殿堂入りを果たした。 1990年の湾岸戦争の際には、コンサート会場でボブ・ディランの「風に吹かれて」を歌い、また2001年の「9月11日事件」直後には、放送が自粛されていたジョン・レノンの「イマジン」を敢えて歌った。そしてイラク戦争後は、ブッシュ政権打倒の姿勢を鮮明にしている。 同世代のミュージシャンから後進の若いミュージシャン達まで、交友範囲は広い。ただ、それだけに、音楽界での悲劇的な死の多くを見つめ続けて来ており、ニルヴァーナのカート・コバーンの自殺にも深く心を痛めた(コバーンの遺書には、ニールの歌詞の一節が引用されていた)。 バンクーバーオリンピックの閉会式では、カナダ代表のミュージシャンとしてライブ・パフォーマンスをした。(ウィクペディア)

 

“愛で絶望的になるのは楽しい。危険だけど、楽しい”   キアヌ・リーブス


 
 キアヌ・リーブス

9歳で舞台『Damn Yankees』に出演したのが芸歴の始まりである。1989年に主演を務めた映画『ビルとテッドの大冒険』が予想外の成功を収める。同作は続編も制作され、キアヌは「テッド役の十代の俳優」として世間に認知されるようになる。1991年には親友のリヴァー・フェニックスと共に『マイ・プライベート・アイダホ』に出演した。
彼を一躍スターダムに押し上げたのは1994年の『スピード』である。続く『スピード2』にも出演オファーがあったものの、彼は自分のポリシーにこだわり、『ディアボロス』と『死にたいほどの夜』に専念するとの理由でこれを断っている。その後、いくつかの映画に出演したものの、やや表舞台からは遠ざかる形となっていた。しかし、『マトリックス』(1999年)に出演後、再ブレイク。3部作に主役として出演した。

キアヌは主にトロントで育ったが、5年間に4つの高校に通っている。そのうちのひとつ、en:Etobicoke School of the Artsでは退学処分を受けている。その理由について彼は「だって、僕はだらしなくて落ち着かない生徒だったからね。少々やんちゃで、嘘をつき過ぎた。端的に言って素行のいい生徒じゃなかった。恐らくみんなの足を引っ張る存在だったんだね。」と語っている。キアヌはアイスホッケーにおいて優れた能力を発揮する一方、失読症により学業に苦労した。通った高校の内の一つen:De La Salle College "Oaklands"では、ゴールテンダーとして活躍。仲間は彼を「The Wall(壁)」と呼び、投票で最優秀選手に選出した。当時の彼にとっては、冬季オリンピックのアイスホッケーカナダ代表の選手になることが一番の夢であったが、怪我によりその道は断たれた。その後、俳優業と並行して通えるフリースクールに入るも中退。結局、高校教育を修了することはなかった。(ウィキペディア)

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