“自分の中にはいろいろなアンがいる。そんなわけで、ときどき自分は大変な厄介者のように感じる。もし私がアンと同じだったら本当にいいんだけど、でもそうだったら、面白さは半減してしまう”
L.Mモントゴメリー
L.Mモントゴメリー
赤毛のアンの作者L.Mモントゴメリーは、1874年11月30日に、カナダ東部プリンス・エドワード島のクリフトン(現在のニューロンドン)で生まれた。1893年。キャベンディッシュでの中等教育を終えたモンゴメリは、シャーロットタウンのプリンス・オブ・ウェールズ・カレッジへ進学した。2年分の科目を1年で終え、1894年に一級教員の資格を取得した。1895年から1896年にかけてノバスコシア州の州都ハリファックスのダルハウジー大学で文学を学んだ。
1908年の『赤毛のアン』の成功の後、1909年の第2作『アンの青春』など、『赤毛のアン』シリーズ(アン・ブックス)を含め生涯に20冊の小説と短編集を書いた。特に『赤毛のアン』は何度も映画化され、40ヶ国語に翻訳されるなどの成功を収めた。
『赤毛のアン』は日本では、1952年に村岡花子により翻訳・紹介され、主に少女たちの間で熱狂的に愛読された。のちに、中学の国語の教科書に収録され、1979年に世界名作劇場シリーズでテレビアニメ『赤毛のアン』として放映された。現在でも若い女性を中心に人気があり、モンゴメリの生地、プリンス・エドワード島を訪れる日本人観光客は増加の一方を辿っている。近年はモンゴメリゆかりの屋敷や教会で結婚式を挙げるカップルもいる。(ウィキペディア)
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