カナディアンライフ

カナディアンライフ働く母さん、カナダ子育て奮戦記 その21  By Yasuko Garlick(ガーリック康子)

卒業式


卒業式

     6月まで通っていたカレッジのコース。最終試験はとっくに終わり、無事、修了証明書も届いていた。11月頃に卒業式があるとは聞いていたが、日々の生活に追われ、忘れかけた頃、ようやく卒業式の知らせが来た。卒業式と言えば、あのガウンや角帽。私が卒業した大学の卒業式では、ガウンも着なかったし、角帽もかぶらなかった。だから、前もってガウンが着られると聞いていたので、絶対出席しなくてはと思っていた。(残念ながら、角帽のほうは、4年のコースを卒業しないとかぶれないらしい。)

卒業式    卒業式は、平日の2日間をかけて、コース毎に各日3部に分けて行われた。私のコースは、2日目最後の部だった。卒業生全員の名前が載ったプログラムを見ると、いろいろなコースがある。卒業生の人数もさまざまだ。式が平日の昼間だったので、出席したクラスメートは少なかったが、久しぶりに会えた人たちとは、その後の近況報告ができた。だいたいみんな、何らかの形で、コースで得た知識を生かした仕事を始めているようだ。話を聞いてみると、証明書がなかなか届かなかったり、卒業式の知らせの手紙自体が来なかったりした人もいたようだ。私の修了証明書は、夏に日本に一時帰国している間に届いていたが、自分の目で確かめるまで少し不安だった。ただ、証明書はもらったものの、何となく中途半端な感じが残っていたので、卒業式に出席したことで、気分的にようやく区切りがついた。

    式では、学長や理事会長の挨拶の他に、先住民の長老からの挨拶もあった。挨拶は、一部、身振り手振りを交えた部族の言葉と、英語で行われた。この長老の部族が先祖代々住んでいる土地に、カレッジの校舎が建っているそうだ。他の方々の言葉も印象あるものだったが、この長老の言葉に一番感銘を受けた。先住民の歴史を語ることは、カナダの歴史を語ることでもあることを強く実感した。今でも、カナダ政府と先住民団体の間で未解決の事柄がたくさんある。そんな歴史を垣間見た気がした。

卒業式    しかし、今思うとよく学校に通い続けたと思う。学生時代に比べ、勉強の条件に欠かせない「時間」にかなり制限があったが、だからこそ、使える時間を徹底的に有効に使うことができたと思う。睡眠時間を削ることもあったが、時間は「作る」ものだという意味が本当によくわかった。

卒業式     勉強のことを考えるうちに、父のことを思い出した。私の父は、私が記憶する限り、ずっと中国語(北京語)を勉強していた。幼少時代を旧満州で過ごしたことが、その一番の理由だと思う。定年退職してからも勉強は続き、中国へ語学留学もした。その後は、放送大学で勉強したり、日本語教師検定試験の受験勉強をしたり、途中病気を患ったが、亡くなるまで何か勉強していた。それまで働き続けたのだから、定年後は悠々自適の生活を送る選択肢もあったはずだ。父の胸の内を聞くことはもうできないが、原動力になるのは「もっと知りたい」という気持ちだったに違いない。「生涯学習」とはよく言ったもので、目標があれば、いつ始めても勉強を始めるのに遅いことはない。父は、それを地でいっただけかも知れない。

    さて、暫く前までは、歳をとる程人間の脳は衰えると信じられてきた。しかし最近、中年期に入っても、脳細胞は発達することがわかってきた。まさに、今が使い時である。
次は、何にチャレンジしよう…。

Yasuko GarlickYasuko Garlick(ガーリック康子)

主に翻訳、通訳、チューターを生業とする2児の母。夫はカナダ人。
数カ国に滞在後、現在カナダ在住7年目。
只今、何か新しいビジネスを始めようと模索中。。



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