兄弟への対抗意識が私を成功させてくれた


 
アン・マレー

“私が歌手として成功したのは、子供のころ、何をしてもお兄さんたちにかなわなかったので、何か自分の方がうまくできることを見つけたかったからだと思います。”



アン・マレー
カナダを代表するベテラン歌手(1945年6月20日生まれ)。1970年、初のヒット「スノーバード」が米ビルボード誌HOT100で8位まで上昇。「ラブ・ソング」(ケニー・ロギンズ作。ケニーは彼女に「ダニーの歌」も提供している)で1974年度グラミー賞の最優秀カントリー女性歌手賞、「辛い別れ」(ランディ・グッドラム作)で1978年度グラミー賞の最優秀ポップ女性歌手賞を受賞。「辛い別れ」は米ビルボード誌HOT100で第1位を記録した。これはカナダ出身の女性ソロ・シンガーとしては史上初の快挙である。(ウィキペディア)

 

映画よりTVがいい


 
サンドラ・オー

女優にとって、TV番組の役の方がやりがいがあるわ。映画はとても限界があるから、映画で今まで演じてきた役を繰り返したくはないわ。



サンドラ・オー(Sandra Oh)
1971年7月20日 オンタリオ州で韓国人移民(コリアンカナディアン)の両親の間に生まれる。幼い頃よりバレエをはじめ、10歳の時に舞台に出演。演劇学校を経て、カナダのテレビ映画やアメリカのテレビシリーズに出演するようになった。
2003年に映画監督のアレクサンダー・ペインと結婚。彼の監督作『サイドウェイ』にも出演し、同作が候補になった際のアカデミー賞授賞式でも仲睦まじい姿を見せていたが、その直後の2005年3月12日にスポークスマンが別居を発表、1ヵ月後に離婚を申請した。 2005年3月からは米ABC局のテレビドラマ『グレイズ・アナトミー 恋の解剖学』のクリスティーナ役で、同年のエミー賞助演女優賞(ドラマシリーズ)候補、2006年にはゴールデン・グローブ賞テレビ部門助演女優賞、全米俳優組合賞テレビ部門女優賞(ドラマシリーズ)などを受賞する高い評価を得て、一躍彼女の当たり役となる。(ウィキペディア)。

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