私は日本語がとても好きです。漢字一 つ一つに深いいろいろな意味がありますし、それらを重ねてまたあたらしい意味になりますし、ひらがなであらわす言葉の優しい感じも大好きです。昔の言葉遣い、書き方にもなんとも言えない情緒がありますね。いろいろな文字が絡みあい、たすけあって新しい言葉 になっているさまは美しい絵画のようでもありますね。昨今、外国語がたくさん入って、それを日本語の中に混ぜて使ったりすること が多くなりましたが、かってに省略したり、外国語風造語を作って、それをあたかもほんとうの外国語のようにおもっていて、海外で 使ってつうじなかったり、はちょっと考えものです。外国の言葉にもまた色々な使い方や意味がありますので、直訳的に一つの意味だ けで連用するのもまた疑問です。なにより言っている本人がその意味をきちんと把握してつかっていないこともしばしば。 これでは ちょっと‥。
こんなことを感じるのは私がもう旧世代の年だからかもしれませんね。言葉にもまた流行りすたりがあるのでしょう。でも、私はもっといまの若い方たちに日本語をみなお してほしいなと思います。日本語の持つ音の美しさ、繊細さを大切にして欲しいし、そうすればもっと美しい会話、穏やかな会話がで きる気がします。
自分の名前につかっている漢字一つ一 つにどんな意味があるのか、その字の起源はなにからだったのか、などしらべてみるのはとてもおもしろいですよ。苗字ももともと意 味のあったものです。どこからきている苗字なのか、どうしてその字が使われたのか、にも深い歴史が隠れています。
今回の題の「手習い」とは、文字の書 き方を習うこと、いろいろなお稽古を始めることなどの意味がありますが、他にも心に思うさまを歌などに書き付けること、という意 味もあります。「手」をつかって文字を学び、「手」をつかって思いをしたためること、です。また自分の「手」を使って何かを始め ることでもあります。
「手習いは坂に車を押す如し」という ことわざがあります。意味は、学問は坂道を車を押して上がってゆくように、ちょっと気を抜くと後戻りしてしまうので、気を抜か ず、つねにしっかり押し続けてゆかないといけない(学び続けないといけない)、という意味です。これを題にしてもよかったですね、とても良い教えです。
「手習い」と漢字で書くとちょっとお 勉強の感じが強いですが、ひらがなで「てならい」と書くと、やさしい感じがします。平安時代のお姫様が美しい文(ふみ)をしたためているようなイメージありませんか?
今はコンピューターでなんでも簡単に文章を書いて、漢字も変換してしまいますが、自分がきちんと知っていないと誤変換を見落としたりします。時々自分の手で文を書く のも良いものですよ。忘れていた漢字を学び直す機会にもなります。時に書くはがきや手紙も、受け取る人には素敵なサプライズ。た まには思いをノートに綴ってみませんか?