私はよく夢をみます。
頭が単純なので、その日に見た映画や印象深い本など読むと、すぐそれに関連した内容の夢を見ます。
おもしろい夢なども続きを見ることもよくあ ります。夢の内容もよくおぼえているほうで、かなり時間がたっても思い出せます。
ここ何年か、よく日本に住んでいた頃 の夢をみるのですが、そのときでてくる家はかならず小学校6年生から看護学校に 行くまで住んでいた杉並区の家です。
もう取り壊されてなくなってしまった借家でした。そこは目の前に川が流れていてその反対側は公園緑地がずっと広がっています。川の両岸はサイクリングロードになっていて、そこを自転車で走って中学校に通っていました。川にはたくさんの鯉が放流されていてまぁまぁ綺麗な川でした。台風の大雨で川があふれて床下浸水したこともありました。その家がいつも私の夢の家になって出てきます。きっと私の子供時代で一番印象が強かった家なのかもしれませんね。そうして夢のなかの自分の年令はまちまちで、子供だったり、高校生だったり、看護学校生だったり、こどものいる今だったりいろいろなんですが、でてくる友達はやはり、その家に住んでいた頃の仲が良かった友だちが圧倒的多いです。残念ながらもう全く音信不通で、今後会う機会もないのでしょうが、歳相応、いっちょうまえに愚痴や悩みを話しながら、でも たくさんの夢や好奇心にあふれていた楽しい時代でした。親に言われたたくさんの小言、大人の諫言など若い頃には理解できなかった けれど、今の私にはよく理解できます。大人たちは自分の歩んだ失敗や苦労、後悔を愛する子供に味合わせたくないからこそ、何度も何度も繰り言のように聞かせてきたのでしょう。その大人たちもまた若い頃は同じように、大人たちの言葉を流してしまっていたのでしょう。そうして、また自分も年老いてわかるのです。繰り返してほしくないのに、けっきょく繰り返している私たち、そうして子供たち。
なんだかなぁ、やれやれ…ですね。時代の流れはとても早くて、数十年前は夢物語だったいろいろなことが、今は殆ど具現化されていますし、それ以上に進んでしまったものもたくさんあります。物も街も早送りのようにかわってゆきます。でも、大人の小言と若者のむとんちゃくの繰り返しは、何百年、 何千年も前からずっとかわらないで続いているようです。