カナディアンライフ

カナディアンライフ働く母さん、カナダ子育て奮戦記 その33 By Yasuko Garlick(ガーリック康子)

翻訳か通訳か、それが問題だ?


翻訳か通訳か、それが問題だ?

    今まで、時間的拘束もあり、あまり力を入れていなかった通訳の仕事だが、VCCの法廷通訳コースを修了したことを機に、翻訳だけでなく、通訳にも手を広げている。もともとこのコースを取ったのも、下の子が小学校を卒業するまでに、通訳の仕事を軌道に載せるための下地作りでもあった。

    それでも、けして翻訳の仕事が嫌いになったわけではない。遊んで暮らせるくらいお金持ちになっても、翻訳の仕事を辞めようとは思っていない。日本では知られていない作家の作品を、出版社に直接交渉して訳すのだ。お金にならなくても構わない。(ただし、これはお金持ちになってからの話。)それよりも、ずっと家に籠って仕事をする、その労働形態(?)に疲れを感じるようになってきた。さすがに今の私の生活環境では、そういうことはほとんどないが、一人でコツコツとする仕事なので、家に誰もいなければ、一日誰とも話さずに終わることもある。気がつくと、コンピューターの前に、何時間も座りっぱなし。目も疲れる。最近、(年のせいか)とくにそれを実感する。脳みそを使うので、頭の体操にはなるとは思うが、身体にはあまり良くない。

    さて、翻訳は、文章を訳すだけが仕事ではない。訳した文章を校正する仕事が、かなりの部分を占める。校正も、誤字脱字をチェックするだけでは、到底すまない。訳した文章を、いかに「翻訳調でない」文章にできるかが、翻訳者の腕の見せ所。ところが、訳した文章を何度も校正するが、その過程で、これだっ!という訳が浮かばず悩むことがある。他の事をしていても頭を離れない。それでも浮かばない。脳みそが煮詰まってしまう。締め切りまで時間の許す限り、何度でも修正できるのでキリがない。悩みに悩んで仕上げても、100パーセント満足のいく翻訳ではない。

翻訳か通訳か、それが問題だ?    通訳の場合はどうだろう。確かに、一気に訳していかなくてはならないので、集中力を要する。話し始めると止まらない人もいるので、そのペースに流されないようにしなくてはならない。かと言って、ある一語に躓いているわけにもいかない。通訳をしている途中で、自分の間違いに気付いたら、すぐに修正の許可を申し出る。絶対、そのままにしておいてはいけない。でも、みんなが喋り終われば、そこで私の仕事も終わる。終わってから、もっといい訳を思いつくこともあるが、後の祭り。誤訳でさえなければ、それでよしとするしかない。満足のいく仕事ができてもそうでなくても、一発勝負である

翻訳か通訳か、それが問題だ?    通訳として一番大切なのは、原文をそっくりそのまま通訳すること。これにはかなり頭を悩ませる。二つの言語間で言葉の意味がぴったり一致すればいいが、ぴったりくる言葉がない時や、言葉そのものが存在しないこともある。侮蔑語、罵詈雑言もそのまま訳すし、言葉遣いも、通訳をしている相手の話し方に合わせる。「男言葉」、「女言葉」の違いがあれば、通訳者の性別に関係なく、それもその通りに訳す。例えば、私が男性のために通訳をする場合、私も男言葉で話すことになる。主語もそのまま訳す。よく耳にする間違いだが、通訳をしている相手が「私」と言っているところを、「彼」「彼女」に替えてはいけない。その時、通訳をしている私は別人になるのだ。

    常に、両方の言語を耳にし続け、いつでもスイッチの切り替えが利くようにしておかなけらなばない。普段滅多に聞かないような言葉でも、どこで役に立つかもわからないから、メモしてしおいて、初めて聞いた言葉であれば、意味と訳を調べる。その過程で意味がどんどん派生していって、あっという間に時間が過ぎてしまう。調べるのは大好きだから苦にはならないが、実はこちらもキリがない。

    翻訳と通訳、どちらが楽かと聞かれると、どちらも大変と答えるしかない。けれど、ずっと勉強し続けるしかない点では、どちらも同じ。「生涯、これ学習」である。
さて、次はどちらの仕事が入って来るだろう。


Yasuko GarlickYasuko Garlick(ガーリック康子)

主に翻訳、通訳、チューターを生業とする2児の母。夫はカナダ人。
数カ国に滞在後、現在カナダ在住7年目。
只今、何か新しいビジネスを始めようと模索中。。



Top of page


1981-2009 Copyright (C) Japan Advertising Ltd. Canada Journal, All rights reserved.