娘が生まれて始めて書いた文章が僕の宝だ。- キーファー・サザーランド


 
キーファー・サザーランド

1989年以来、僕が旅行するときはいつも娘が幼稚園のときにとった写真を身につけている。写真の裏に、「パパ、愛してるよ」って娘が書いてくれた。この写真をいつも持っているので娘が私を笑うんだ。多分、心の底で僕は娘が大きくなるのに抵抗しているのかもね。でも、この娘が書いてくれた言葉は娘が生まれて始めて書いた文章なので、僕にとってはとっても大切な宝なんだ。
Kiefer Sutherland



父親は俳優のドナルド・サザーランド、母親は女優のシャーリー・ダグラス。祖父はカナダのサスカチュワン州の元知事トミー・ダグラス。ロンドンで生まれ、彼より7分後に生まれた双子の妹がいる。両親の離婚後、カナダのトロントへ移住。両親がロンドンで働いていたときイギリスで生まれ、カトリック系学校に通うためにカナダで育てられた。
子役としてテレビなどに出演し1983年、本格的に映画デビュー。『スタンド・バイ・ミー』で一躍有名となるも役に恵まれない時期が続いた。
その後、『24 -TWENTY FOUR-』の主人公ジャック・バウアー役[3]で復活し、2006年度エミー賞ドラマ部門で主演男優賞を受賞。
『24』に出演中の2001年以降は、テレビ・シーズンの撮影がオフになる春から初夏にかけて映画撮影のスケジュールを組むことにより、ほぼ毎年1本のペースで映画出演も続けた。現在は製作や監督も手がけ、ロサンゼルス在住。2005年11月24日、初来日(ウィキペディア)。


 

僕はもう走れないけど・・・・


 
テリー・フォックス

みんなで癌の治療法を発見しなければならない。みんなが、自分にできる範囲でやってほしい。
テリー・フォックス



「希望のマラソン」で知られるカナダの義足マラソンランナー。カナダでは知らぬ者はいないとまで言われるヒーロー。1958年7月28日、マニトバ州ウィニペグで生まれ、バンクーバー近郊のポートコキットラムで育つ。サイモンフレーザー大学の学生で、バスケットボール部で活躍していた1977年、右ひざの痛みで医者にかかったところ、それが骨肉腫であることが判明。
骨肉腫で右足を切断した後、がん研究資金を募るために、1980年4月12日、ニューファウンドランド州のセント・ジョンズから「希望のマラソン」(Marathon of Hope)を開始した。鉄のような固い意志で、北アメリカ大陸を横断してバンクーバー島のポートレンフリューを目指し、義足をつけて毎日フルマラソンと同じ42kmを走り続けた。目標は完走と100万ドルの募金を集めることだった。しかし143日目の9月1日5,373kmを走ったところで、癌の肺への転移のためオンタリオ州サンダーベイ付近でマラソンを断念し入院。1981年6月28日、テリーは22歳の若さでこの世を去った(ウィキペディア)。


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