カナディアンライフ
カナディアンライフアイウエオな毎日 その22 By Michelle Igarashi

田津(にきたつ)に船(ふな)乗りせむと月待てば…」


熟田津に船乗りせむと月待てば熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗りせむと月待てば潮もかなひ ぬ今は漕ぎ出でな(万1-8)、これはいつもの私の下手くそな俳句と違って、世 界的に有名な額田王(ぬかたのおおきみ、ぬかたのきみ)の作った歌です。大変有名な歌ですのでご存じの方もたくさんおられるとお もいます。当時の日本が百済(今の朝鮮半島で栄えた一国)の援軍要請に応えて軍を朝鮮半島に送り出す際、軍を鼓舞するべく額田王 が歌いました。額田王はたいへん才能豊かな女性としてしられています。素晴らしい歌を読む歌人はその才能を愛でられ、尊敬される 存在でもありました。

熟田津に船乗りせむと月待てばこの歌一つで未知の地に戦いに赴く多くの兵士たちの気持ちに強い勇気を与えたのです。また史実はわかりませ んが、王弟「大海人皇子(のちの天武天皇)」に嫁し十市皇女を産み、のち「中大兄皇子(天智天皇)」に寵愛されたとされていま す。この天智天皇、大化の改新の立役者でもあります。天智天皇は天皇位を自分の息子、大友皇子につがせるべく新しい官位を設け大 友皇子を寵愛重用しました。当時は母親の身分の高さが兄弟(異母兄弟)の順位をきめましたので、大友皇子は大海人皇子に比べて母 親の身分が低く、本来なら大海人皇子がつぎの天皇になる立場でしたから、大海人派の反発をかいます。しかし、天智天皇存命中はう かつに王位をねらっているような態度は謀反とも取られ危険です。そのため大海人はいったん出家し兄の疑いから身を隠します。その 後天智天皇が亡くなった際、すぐさま大友廃位の兵をあげ、大友皇子を殺し、天武天皇として即位しました(壬申の乱)。大友皇子は 額田王の一人娘、十市皇女を娶っていましたが、この乱の約6年後に急死しています。
額田王はこの悲しい歴史の流れの様をすべて近 くで見ていたわけで、その心中いかばかりであったかとおもいます。壬申の乱の悲劇は天智天皇の長男に王位を継がせたい、という親 の溺愛から発したものかもしれません。こののち、しばらくして王位は正統な長子に受け継がれるように変わってゆきます。日本のみ ならず父権や民族意識の強い国には、同様の長子相続が今も生きています。

熟田津に船乗りせむと月待てば 昨今の日本は減ったとはいえ、大きな家系や財産家の中に はまだこの意識を根強く持っているところも多々あります。長子がその立場を理解し、継承まで努力し刻苦勉励(ひたすら努力して勉 強や仕事に励む事)するなら継承も不安がないでしょうが、やはり人間、個性も向き不向きもあります。向かない立場を無理やり押し 付けて、結局家庭崩壊する話も、親族絡み会社絡みの継承争いする話も、今も昔もかわらないトラブル。自分が築き上げたもの、先祖 代々守ってきたもの、などを愛する吾が子に残してゆきたい親の気持ちもよくわかりますが、それによって子を苦しめてしまうのは本 末転倒…。いつの時代もどこの場所でも、親というものは愛ゆえに愚かなのかもしれません。


Michelle IgarashiMichelle Igarashi
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