ライフ−連載コラム記事
  カナダに住む カナダ横断旅行日記 言葉と  

竹内英理奈(たけうちえりな)
三重県出身。1976年生。津田塾大学学芸学部国際関係学科卒。高校で英語教師を務めた後、2004年4月に来加。現在ブリティッシュコロンビア州バンクーバーのサイモンフレーザー大学(SFU)で通訳養成講座受講中。趣味は休日の散策。ストレス解消法はとにかく体を動かすこと。

受信と発信
聞く姿勢を養いたい

ブリティッシュ・コロンビア州の中央南部に位置するオカナガン地方を、先学期の最後の研修旅行で訪れた。バスでバンクーバーから約7時間。温暖な気候を利用した果樹栽培で有名なこの地方は、カナダの現首相ポール・マーティンやアメリカの歴代大統領、また国務大臣も訪れるブリティッシュ・コロンビア州きってのリゾート地として知られている。美しい湖、田園風景、そしてゆっくりとした時の流れが心地良い。

まず私たちが訪れたのはワイナリー(ワイン醸造所)である。オカナガン地方の夏の暑さがぶどう栽培に適しているため良質なワインの量産が可能で、値段も手ごろということもあり、オカナガン産のワインはカナダ国内だけでなく、最近では世界で注目を集めている。またこの地方は夏と冬の気温差が激しく、冬はマイナス10度以下になることもあるが、凍って糖分が凝縮されたぶどうで作るアイスワインという甘美なデザートワインが目当てでこの地を訪れる人も多い。ワイン、特に赤ワインは色、香り、味わいといい、まさに大地の恵みという言葉がぴったりくる飲み物ではないだろうか。殊に、キリスト教圏の国々では赤ワインは教会での儀式に欠かせない。普段の生活でもホームパーティーに招待された際にはワインを手土産にもっていくと喜ばれる。

ワインについて事前に調べたところ、味や香りに関する表現が多く、なかには聞いたことのないものもたくさんあって驚いた。Astringent(渋い)、fruity(フルーティーな)あたりは、よく聞く表現だが、earthy (土の匂いのある)、 chewy(かみ応えがある) などという一風変わった表現もある。土の匂いや、噛み応えのあるワインがどのようなものかは分からないが、味覚や嗅覚に関連した言葉を調べるのもなかなか興味深い。思えば人間の生活に彩りを与え、豊かにしてくれるのは、おいしい料理、かぐわしい香り、美しい景色や音色、すがすがしい気候など、五感を満足させることのできる要素である。おいしい料理をふるまわれたら、その料理に対する感謝の気持ちも込めて、ただおいしいというだけでなく、なんとかもっと工夫してその感動を伝えたい。例えばpalate(口蓋)の派生語、palatable (口に合う、趣味にかなう、心地良い)を使ったり、美しいものを見た際にも、easy on the eye (見ていて心地良い、魅力のある)という表現を使うと、人が感じる心地良さを直接的に伝えることができる。

今回のオカナガン旅行では、目に映るもの、鼻先をかすめる草花やワインの香り、口の中で広がるワインの豊かな味わい等、感じたことを英語で表現する方法をもっと学びたいと思った。なにか感動することに出会った場合、それを英語で幅広く表現できれば、その経験もさらに味わい深いものとなるだろう。

耳を傾けるということ

オカナガンという地名は、カナダの先住民の部族の一つ、オカナカン族に由来する。カナダの州名や各都市名には先住民の言葉からきたものが多くある。私たちは、オカナガンの地をはるか昔から守り、生活を営んできたオカナガン先住民の人々によって運営されているエノーキン・センターを訪問した。エノーキン・センターは先住民の文化や言語を、次世代の若者だけでなく、カナダに住む人々に伝えようとする目的で設立された。エノーキンとは先住民独特の概念で、ひじょうに優れた民主主義的問題解決方法である。何か問題が起きた時や、話し合わなければならない議題がある場合、まず、第一段階としてみんなが情報をもち寄る。特筆すべきは、誰もが人の話をさえぎったり反論したりせずに聞き入ることだ。最後の一人がしゃべり終わり、全ての情報が出尽くすまで、ただひたすら聞く。どんなささいな情報であれ、無視されたり、軽視されることはない。ここで何が重要なのかといえば、「聞く」という姿勢である。

受信と発信

英語という言語を学んでいると、自分の意見をしっかりともち、それを明確に述べる能力が強く求められるように常々感じる。英語とは積極的に自ら発信していく言語だと言えるだろう。白熱した議論になると、話している人をさえぎって意見を言おうとする場面もしばしば見られる。ディベートにいたっては、いかに相手チームに自分たちの考えを納得させるか、つまり説き伏せるかによって勝敗が決まる。しかしながら、どんな言語であっても「聞くこと」、もっと言えば「人の話に熱心に耳を傾ける」ということが基本なのではないだろうか。意見を述べさえすれば良いのではなく、他の人の言い分や話している内容をしっかりと踏まえたうえで、初めて的確な意見を言うことが可能になるからだ。通訳の訓練をしていていると、話し手の言うことに全身全霊かけて向き合っている感覚になることがある。日常生活で私たちはあまりにも多くの情報に囲まれているが故に、心に留められることなく素通りしていくものも多い。情報先進社会と呼ばれるこの世界で、自分を発信していくと同時に「耳を傾け、真摯に向き合う」姿勢がよりいっそう求められているのではないだろうか。